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深夜2時、DMの通知が光る。「ごめん、ちょっと聞いてほしい」。
布団の中でスマホを開いて、既読をつける。特別な相談ではない。いつも通りの不安、いつも通りの「しんどい」。「わかるよ」と返して、しばらくやりとりして、気づくと1時間が経っている。
いつの間にか聞き役だった
闘病垢を始めた頃は、自分が話を聞いてもらう側だった。調子が悪い日にぽつぽつ書いて、同じような人がリプをくれて、それだけで少し楽になっていた。
いつからか、DMで相談が来るようになった。最初は「わかるよ」と返す程度だったのが、気づけば毎晩のように誰かの話を聞いている。相手の顔ぶれも変わっていって、フォロワーが増えるにつれて、ほとんど話したことのない人からも来るようになった。
断る理由がなかった。自分も同じ場所にいる人間だし、話を聞くくらいならできると思っていた。聞き役は、なろうとしてなるものじゃない。 気づいたらそこにいる。
ある夜、スマホを伏せた
ある日、3時間くらいDMでやりとりをしたあと、ふと気づいた。朝より明らかに調子が落ちている。
相手の話が特別重かったわけではない。いつも通りの不安、いつも通りのしんどさ。ただ、「わかる」「つらいよね」を何十回も返し続けたことの蓄積が、静かに効いていた。
スマホを伏せて、天井を見た。自分のほうがよほどしんどいのに、聞き役をやっている。 この構造はおかしいと思った。
あとで調べて知ったんだけど、これは共感疲労と呼ばれるものに近いらしい。精神科の看護師を対象にした調査では、4人に1人が高い共感疲労リスクを抱えていたという報告がある。2026年にオーストラリアの教師334人を対象にした研究では、「相手の気持ちを自分も感じてしまう」タイプの共感をする人ほどバーンアウトしやすいという結果が出ていた。闘病垢の聞き役は間違いなくそっち側だと思う。訓練を受けたプロでも起きることを、素人が毎晩やっていれば潰れるのは当然だった。
聞く側も当事者だということ
自分が潰れかけた時期に、「聞いて疲れる」の記事をいくつか読んだ。「共感力が高い人の対処法」「話を聞くときの境界線の引き方」。読んでみると、ほとんどが健康な人がしんどい人の話を聞く前提で書かれていて、何かが違うと感じた。
闘病垢は構造が違う。聞く側も精神疾患の当事者で、自分の病状が不安定な日にも聞き役をやっている。「自分がしんどいのに、相手のしんどいを受け止める」という二重構造。これがたぶん、この場所特有のきつさだと思う。
DMで「死にたい」と送られてきた夜、自分もまさに同じことを考えていたことがあった。何も返せなかった。返さなくてよかったのかどうか、いまだにわからない。
SNSでは「変わる気もないのに相談してくる」「毎日DMで相談されて自分が潰れそう」という声もよく見かける。聞いている側が溜め込んでいく感じは、界隈の中だけの話ではないらしい。ただ、闘病垢の場合は自分も同じ側にいることが話をややこしくする。相手を突き放すことが、自分を突き放すことにもなりかねないから。
以前、「無理しないで」の話を書いたとき、送る側にも余力がないという話をした。聞く側の話も、構造は同じだと思う。余力がない人同士で支え合っている。その仕組み自体は悪くないけれど、限界がある。
DMに閉店時間はない
カウンセラーが持続できる理由のひとつは、時間の枠があることだと思う。1回50分。終わったら次の予約まで離れる。その枠があるからプロは続けられる。
闘病垢のDM相談には閉店時間がない。深夜3時に来る。朝5時に来る。薬を飲んでようやく眠れそうなタイミングで通知が鳴ると、一気に目が覚える。「今日はもう無理」と思っても、既読をつけたら返さないわけにいかない気がして、結局返す。
もうひとつきつかったのは、回復し始めると離れづらくなること。自分の調子が少しよくなってきたとき、界隈から距離を取りたいと思った。でもそうすると「裏切った」ように見えるんじゃないかという気持ちが出てくる。聞いてきた相手を見捨てるような感覚。
最近、TLで「界隈卒業」を宣言する人が増えている。あの宣言は挨拶みたいに見えて、たぶん本当に限界だった人が多いんだと思う。
友達に話すのとプロに話すのは違った
ここまで書いてきて思うのは、友達に話を聞いてもらうことと、カウンセラーに聞いてもらうことは全然違う手段だということ。
友達は「わかる」と言ってくれる。同じ場所にいるから、共感が深い。でもその分、相手の感情が自分に流れ込んでくる。お互いが当事者だから、境界線が引けない。「わかる」が通貨になる場所で書いた話とも繋がるけれど、共感が深いことと、聞き続けられることは別の話だと思う。
カウンセラーは第三者として聞く。「わかる」ではなく、「それはこういうことかもしれませんね」と整理する。感情を受け止める役割が、明確に分かれている。cotreeの利用者の声で「友達に話した時は噛み合わなかったけど、カウンセラーは第三者として聞いてくれるから楽だった」というのを見たことがある。これは実感としてわかる。
どちらが正しいとかではなく、役割が違う。友達の共感と、プロの整理。片方だけに頼ると、聞く側も聞かれる側も潰れる。
対人関係の距離感について、精神科医の水島広子さんが書いた本がある。「相手を助けなきゃ」という気持ちを手放す具体的な方法が書かれていて、聞き役に回りやすい人は読んでおいて損はないと思う。
オンラインカウンセリングについて詳しく書いた記事があるので、気になった人はそちらも読んでみてほしい。
関連記事: オンラインカウンセリング、合う人・合わない人
全部背負わなくていい
聞くのをやめろ、とは思わない。聞いてくれる人がいたから救われた夜は、自分にもある。ただ、全部を友達に背負わせなくていい。プロに話すという選択肢は、友達を捨てることではない。役割を分けるだけの話だと思う。
聞く側が潰れたとき、「自分は弱い」と思う必要はない。プロでも起きることを毎晩やっていたら、そうなる。構造の問題だから。
『それでいい。』の続編に、まさに「人の話を聞くストレス」をテーマにしたコミックエッセイがある。漫画家の細川貂々さんが精神科医の水島広子さんから「精神科医の聞く技術」を学ぶ話で、聞き役に回りがちな人が読むと「あ、これ自分だ」となる箇所がいくつもあると思う。
細川貂々・水島広子『やっぱり、それでいい。 人の話を聞くストレスが自分の癒しに変わる方法』
¥1,320(税込)
「聞く側がしんどい」をテーマにしたコミックエッセイ。精神科医の聞く技術を漫画で学べる。
確かめる手段はないけれど、たぶん界隈にいる人の半分くらいは、聞く側として疲れた経験がある。その疲れは、あなたのせいではない。
※この記事は個人の体験と観察に基づいています。症状や治療については主治医にご相談ください。

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