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「無理しないで」——嬉しい、けどしんどい

※本記事にはPR・広告が含まれます

この記事は「闘病垢の話」シリーズの3本目です。前回: 寝落ちスペースという発明

調子が悪いとき、ツイートにリプがつく。「無理しないでね」。

嬉しいかと聞かれたら、嬉しい。少なくとも歓迎されている感じはある。自分のことを見てくれている人がいて、何か一言かけようとしてくれている。それはわかる。

ただ、同時に、なんとも言えない生ぬるさがある。泥沼に足を突っ込んだまま「がんばれ」とも「やめろ」とも言われず、ぬるい水に浸かっているような感覚。嬉しいのかしんどいのか、自分でもよくわからないまま「ありがとう」と返している。返した後に画面を閉じて、少し息を吐く。

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嬉しい、けどしんどい

「無理しないで」には、たぶん二つの層がある。

ひとつは純粋な気遣い。体調がしんどそうな人に、何か声をかけたいという気持ち。これは素直に受け取れるときがある。特に調子が底のときは、誰かがそこにいるという事実だけで少し楽になる。

もうひとつは、もう少し複雑なやつ。「無理はしないとやっていけない」のに「無理しないで」と言われると、どうしたらいいかわからなくなる。無理しないと生活が回らない。仕事も通院も、薬を飲んで動くことも、全部が無理の上に成り立っている。そこに「無理しないで」が来ると、立っている場所ごと否定されたような気持ちになることがある。

発病初期に「がんばらなくてもいいよ」と言われて、努力を否定された感覚になった、という話をスペースで聞いたことがある。その人は、祖母に「ほどほどがいいの」と言われたときに初めて力が抜けたと言っていた。

この差はなんだろう、とたまに考える。たぶん「無理しないで」は、送る側が楽な言葉なのだと思う。間違ってはいない。でも、相手の状況に踏み込まなくても言える。

送るたびに思っていること

闘病垢の界隈では、「無理しないでね」はほとんど挨拶のように使われている。

体調悪いとツイートすれば「無理しないで」。通院の報告をすれば「無理しないで」。仕事がしんどいと書けば「無理しないで」。送る側に悪意はない。自分も送ったことがある。

ただ、送るたびに「こんなんでいいのかな」と思っている。

定型だとわかっているから。相手が本当にしんどいとき、この四文字で何が変わるのか。でも他に何を言えばいいのかもわからないから、結局「無理しないで」を送っている。送る側も当事者で、自分も調子が悪い日がある。丁寧に言葉を選ぶ余力がないときに、とりあえず出せる言葉が「無理しないで」になっている。

回復期に入った人が「あの頃は無理しないでが多かったな」と振り返っているのを見ることがある。渦中にいるときは気づかないけれど、少し離れたところから見ると、定型リプの層の厚さに気づく。自分もそのうちそう思うのかもしれない。

言えることと言えないこと

じゃあ代わりに何を言えばいいのか。正直、わからない。

自分が楽だった言葉を思い返すと、「このままでいいよ」に近いものだった気がする。無理するな、でも無理しろ、でもなく、いまの状態をそのまま認めてもらえるような言葉。ただ、これはあくまで自分の場合の話で、同じ言葉が別の人に刺さるかはわからない。

聞く側になることのほうが多い。スペースで誰かの話を聞いていると、厳しいことを言いたくなるときがある。「それは主治医に相談したほうがいい」とか「そのやり方はまずい」とか。でも堪える。自分がそれを言う立場にあるのかどうか、確信が持てないから。結局、黙って聞いているだけになる。それが正解かもわからないまま。

結局、完璧な言葉はないのだと思う。「無理しないで」が定型であることも、それでも送ることも、受け取って微妙な気持ちになることも、全部込みで成り立っている。

そのまま受け取る、そのまま送る

「無理しないで」を言い換えるリストみたいな記事がネット上にはたくさんある。「ゆっくり休んでね」「そばにいるよ」「話聞くよ」。どれも間違ってはいない。でも、そういう言い換えで解決する話ではないと思っている。

送る側も当事者で、受け取る側も当事者で、どちらも余力がない。その中で「無理しないで」が飛び交っているのは、たぶんそれが今の自分たちにできることの限界だからだ。

だからこれは「もっと良い言葉を使おう」という話ではない。

生ぬるくて、定型で、たまにしんどい。それでも、何も言わないよりはたぶんマシで。そのくらいの温度で、自分はこの四文字を受け取っている。

正解がないからこそ、同じ場所にいた人の言葉が助けになることがある。気分変調性障害の当事者が精神科医との対話を記録したエッセイで、「しんどいのに言葉にできない」感覚がそのまま書かれている。闘病垢にいる人なら、たぶん何箇所かで立ち止まると思う。

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気分変調性障害を抱える著者と精神科医の12週間の対話記録。「つらい」を言葉にする過程がそのまま綴られている。

次回は、闘病垢で飛び交うもうひとつの言葉——「わかる」について。


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※この記事は個人の体験と観察に基づいています。症状や治療については主治医にご相談ください。

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